vol.49-56 支援者が障害を作っている?!

支援しないという支援(1)
どうしてイロハニトイロでは支援しようとしないのか
支援することが支援者としての役割ではないのか
何を言葉遊びのようなことをしているの?
意味わからない
そんな疑問を抱かれると思います
このシリーズのテーマは
「支援者が障害を作る」というものでした
それでは、そうならないために私たち支援者はどうするべきなのか
私たちが考えたことは
「支援をしようとしない」
ということでした
それは、
「何もしない」
とか
「無関心」
とか
「自己責任」
とかそういったことでは決してありません
支援者が「この人を助けたい」「この人を良くしたい」と支援しようとすることで生まれる有害性(これまでお話してきたことです)を少しでもなくしていきたい
そしてそのためには私たち支援者はどうするべきなのか
それを考えて考えて出た答えです
少しそのことをご説明させていただければと思います
私たちが、目の前の人を支援しようとしたとき、どのようなことが起こると思いますか?
この人を支援しようとした途端に世界は二つに分かれます
それは
「支援する者」の世界
と
「支援される者」の世界
に
そうすると
「支援される者」には支援されるだけの理由が生まれてきます
つまり、問題や欠点などのマイナスとなるものです
マイナスがあるから支援されるわけですから
そしてそんな問題や欠点を持っている人を私たちは“障害者”と呼んでいます
(なんかおかしな話ですよね。僕を含めみんな問題だらけ欠点だらけなのに。支援しようとしたらそこが強く表れてきます)
一方で「支援する者」には、支援できるだけの理由や目的が生まれます
つまり、それ相応の能力を持っている人、偉い人となります
そして、その人を良くする(助ける)という目的があります
このようにしてこの二つの世界の中に上下の関係が自然と生まれるのです
能力を有する者
と
能力が低く問題がある者
助ける者
と
助けられる者
常にこの上下の関係を作り続けるわけです
となると、支援されればされるほど
自分は能力の無い人間なんだという価値観が形成され続けていくんです
ここは無意識かもしれません
支援者は無意識に相手を見下し、否定し、自分の価値観に従わせようとしてしまいます
それは「支援しよう」という意識があるからですよね
支援する者は正常であり正しいという思い込みがあるからでしょうね
僕は昔ギャンブルばっかりやっていた人間なので、そのことを例に出させていただくと、
患者さん(利用者さん)が生活保護費でパチンコやってたら支援者の人は修正しようとしますよね?
でもそれが患者さんでなければそうはしないわけです
支援者だから、「目の前の人を助けたい」「良くしたい」と望み、
この患者は問題を持っていると見ていて、
その問題をなくそうとしてしまう
だって私は支援者なんだし、相手は問題を抱えて苦しんでいる人なんだから
ほらほら、世界が二分されて、上下の関係が生まれ、そして支援者は無意識に上に立って支配していっているでしょ
でもここで支援することをやめてみるとどうでしょうか?
その患者さんは困るんです
ギャンブルして生活費が無くなって「困った、困った」なんです
そしてその「困る」という痛みがあって、自らギャンブルをやめようとするんです
むしろ、スタートが「自分から」じゃないと決して本当の変化にはつながりません
「いやいや、それが出来ない人たちなんだから支援者がいるんだろ?!」
「何もしないんだったら支援者なんていらないだろ?!」
そんな疑問に次回答えさせていただければと思います
イロハニトイロ所長
金村栄治